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糸づくりとこだわり

Manufacturing and Commitment

糸へのこだわり
紡毛紡績の説明

Commitment to yarn and explanation of spinning wool

毛糸は紡毛糸と梳毛糸に分類されます。紡毛糸をつむぐ紡毛紡績は、手紡ぎを工業化したような糸づくりで、一般の人が想像するような毛糸にあたります。撚りが甘く糸の表面はふわふわと毛羽立ち、空気を多く含んでいるので柔らかで軽いといった特徴があります。

紡毛糸ができるまで

The process of making woolen yarn

染色(外注)

Dyeing

原毛は洗浄された状態で輸入し、必要に応じて染色を行います。協力工場で原毛(わた)の状態のまま染めるTOP染を行い、素材本来の良さを活かした糸を長年培ってきた技術で紡いでいきます。

調合

Mixing

複数の原毛を混ぜ合わせ、紡績をしやすい状態にする工程です。異素材や複数の色をむらなく混ぜ合わせながら、固まった部分をほぐし空気を多く含ませます。調合油と呼ばれる水と水溶性の油分を混ぜ合わせたものを含ませて繊維のダメージを軽減し紡績を行いやすくします。

カード

Carding

調合された原料をさらにかき混ぜながら繊維を揃える工程です。1枚のシート状にしたものを細く分割して、軽く揉んで糸の前段階の篠(スライバー)を作ります。繊維1本1本を分離させることで、不純物や極端に短い繊維を取り除きます。

ミュール

Spinning mule

カードで出来た篠を、伸ばしながら撚りをかけることで平らな糸にする工程です。撚りをかけることで、強度と伸縮性が増した単糸と呼ばれる1本の糸になります。ミュールでできた糸は1本約80g程度で巻かれています。調合~ミュールが紡績と呼ばれる工程です。

コーンアップ

Cone up

ミュールで上がった糸は80gと少量で、使い勝手のいい1㎏になるまで繋ぎ合わせながら巻き取る工程です。ただ巻き取るだけでなく、最新の機械で許容範囲外の糸や異物を取り除きます。糸をつなぐ際はエアーで糸端の撚りを戻し、再び撚りをかけることで結び目の無い糸に仕上がります。

撚糸

Twisting

1本の糸を2本や3本に撚り合わせてあらゆる太さの糸にする工程です。異なる糸を撚れば、新しい糸を作成することができるだけでなく、糸の強度や膨らみ感と軽さなどを変化させることも可能です。

創業者 - 石井立郎 -

The founder
– Tatsuro Ishii -

創設者であり初代社長である故石井立郎は、日本の羊毛工業の技術的先駆者であり、師とも、 神とも仰がれた人物である。東京高等工業学校 ( 通称蔵前高工、現在の東工大) の紡織科を卒業後、 陸軍製絨廠へ勤務、 毛織業界に入った。この時の同期生に、日本フェルト㈱会長故高橋一三があり、両者は生涯水魚の交わりを続けたのである。
 陸軍で9年8ヵ月務めた後、高田毛織に1年4ヵ月、富士毛織に1年5ヵ月、満蒙毛織に3年2ヵ月、栗原紡織に10年9ヵ月、北坊の顧問を経て自分の会社の小金毛織をもったのである。その間、丸新フエルト、アサヒ繊維などに関与したが、いずれも技術面での指導者としての任を果たし、また頼まれればいやといえない性格によるところが大きい。

 大正から昭和の日本はキモノから洋服への転換期であり、毛織技術の遅れが目立っていた。その中で常に一歩早く先進技術を先取りし、英国リーズ大学へ留学したり、オーストラリアへ視察して”イギリス以上の立派な毛織物をつくる”ことに情熱をもやしてきたのである。
 わけても大同毛織株式会社(前栗原紡織)との関わりも深く、着物地のモスリン用糸の紡織と、モスリンの製絨仕上げの技術しか持たなかった、どちらかと言えば、町工場的な栗原紡織の技術的改善の指導者となり、”大きな転換”の縁の下の力持ちとなったのである。こうした活躍は枚挙にいとまがないが、石井自身は欲がなく、進退をわきまえた人であった。
 その石井が自分の会社を持つに至ったのは、住まいのある小金町の中学校跡地への、企業誘致という機会があったからである。石井は業務のかたわら、業界の世話にと奔走した。日本の毛織業界の、発展を信じ努力を重ねた石井立郎。その遺志は現在も小金毛織に受け継がれている。