糸づくりとこだわり
Manufacturing and Commitment
糸へのこだわり
紡毛紡績の説明
Commitment to yarn and explanation of spinning wool
毛糸は紡毛糸と梳毛糸に分類されます。紡毛糸をつむぐ紡毛紡績は、手紡ぎを工業化したような糸づくりで、一般の人が想像するような毛糸にあたります。撚りが甘く糸の表面はふわふわと毛羽立ち、空気を多く含んでいるので柔らかで軽いといった特徴があります。
紡毛糸ができるまで
The process of making woolen yarn
創業者 - 石井立郎 -
The founder
– Tatsuro Ishii -
創設者であり初代社長である故石井立郎は、日本の羊毛工業の技術的先駆者であり、師とも、 神とも仰がれた人物である。東京高等工業学校 ( 通称蔵前高工、現在の東工大) の紡織科を卒業後、 陸軍製絨廠へ勤務、 毛織業界に入った。この時の同期生に、日本フェルト㈱会長故高橋一三があり、両者は生涯水魚の交わりを続けたのである。
陸軍で9年8ヵ月務めた後、高田毛織に1年4ヵ月、富士毛織に1年5ヵ月、満蒙毛織に3年2ヵ月、栗原紡織に10年9ヵ月、北坊の顧問を経て自分の会社の小金毛織をもったのである。その間、丸新フエルト、アサヒ繊維などに関与したが、いずれも技術面での指導者としての任を果たし、また頼まれればいやといえない性格によるところが大きい。
大正から昭和の日本はキモノから洋服への転換期であり、毛織技術の遅れが目立っていた。その中で常に一歩早く先進技術を先取りし、英国リーズ大学へ留学したり、オーストラリアへ視察して”イギリス以上の立派な毛織物をつくる”ことに情熱をもやしてきたのである。
わけても大同毛織株式会社(前栗原紡織)との関わりも深く、着物地のモスリン用糸の紡織と、モスリンの製絨仕上げの技術しか持たなかった、どちらかと言えば、町工場的な栗原紡織の技術的改善の指導者となり、”大きな転換”の縁の下の力持ちとなったのである。こうした活躍は枚挙にいとまがないが、石井自身は欲がなく、進退をわきまえた人であった。
その石井が自分の会社を持つに至ったのは、住まいのある小金町の中学校跡地への、企業誘致という機会があったからである。石井は業務のかたわら、業界の世話にと奔走した。日本の毛織業界の、発展を信じ努力を重ねた石井立郎。その遺志は現在も小金毛織に受け継がれている。